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東京地方裁判所 昭和38年(レ)572号 判決

控訴人 田中ナヲエ

控訴人 田中賢太郎

控訴人 田中敏子

控訴人 田中光治

控訴人 合資会社三会田中商店

右代表者無限責任社員 田中光治

右五名訴訟代理人弁護士 高沢正治

控訴人 斎藤丑吉

右訴訟代理人弁護士 大城豊

被控訴人 伊藤武朝

右訴訟代理人弁護士 中沢浦次

同 内谷銀之助

主文

本件控訴はいずれもこれを棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は「原判決を取り消す被控訴人の本訴請求を棄却する。(右本訴請求を認容すべき場合には)被控訴人は控訴人らに対しそれぞれ原判決添付請求金額目録合計欄記載の各金員およびこれに対する昭和三八年四月一四日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出・援用・認否は、被控訴代理人において甲第一九号証の一ないし三、第二〇号証の一、二を提出し、当審証人田中万蔵、同伊藤秀朝の各証言を援用し、控訴人ら代理人において当審における証人高木義三、同和田頼夫、同斎藤ナヲの各証言、控訴人田中ナヲエ本人尋問の結果、鑑定人丸山皓緑の鑑定の結果および検証の結果を援用し、前記甲号各証の成立はいずれも不知と述べたほかは、原判決事実らんに記載されたとおりであるからここにこれを引用する。

理由

(本訴請求について)

一、原判決添付物件目録記載の建物(以下「本件建物」という)が被控訴人の所有であることならびに控訴人斎藤丑吉が同建物中同目録(二)記載の部分(以下「本件(二)の部分」という)を、同人を除くその余の控訴人らが同(一)記載の部分(以下「本件(一)の部分」という)を占有していることは当事者間に争いがない。

二、控訴人らはいずれも賃借権にもとずいて右各部分を占有していると主張する。そして被控訴人が昭和二〇年五月一日控訴人斎藤丑吉に対し本件(二)の部分を賃貸したこと、昭和一一年四月一〇日亡田中助太郎に対し本件(一)の部分を賃貸したところ、同人は昭和三四年九月一四日死亡し、控訴人田中ナヲエ、同田中賢太郎、同田中敏子、同田中光治が相続により共同して右賃借権を取得したことはいずれも当事者間に争いのないところである。

三、被控訴人は右各賃貸借契約はいずれも被控訴人のした解約の申入によってすでに終了していると主張するからこれにつき判断する。(一) 被控訴人が昭和三四年八月一七日、当時の賃借人である斎藤丑吉ならびに田中助太郎を相手方として、本件建物が腐朽して改築するため明渡を求める必要ありとして東京簡易裁判所に建物明渡の調停申立をし、右申立書が同月中に右相手方らに送達されたことは当事者間に争いがないところ、右調停の申立には前記各賃貸借契約の解約申入の意思表示が包含されていたと解するのが相当であるから、右申立書の送達により右賃貸借契約の解約申入がなされたものと認められる。

(二)、よって右解約申入が正当の事由にもとづくものであるかどうかにつき考察する。

本件建物はそれまでの補修にもかかわらず昭和二八年以後再び雨漏りがして昭和三三年ごろにはその損傷が目にみえていちじるしくなり、昭和三五年一〇月にはついに屋根が落ちるほどの状態にたちいたったことは当事者間に争いのないところであって、右事実と≪証拠省略≫をあわせるとつぎの事実が認められる。すなわち、

(1)、本件建物は明治後期に既存の建物の解体材料を利用して建築した木造建物で、本件解約申入当時、すでに建築後約六〇年を経過した老朽建物で、構造耐力上の主要部分、すなわち土台、柱、壁、小屋根、斜材(筋かい、方づえなど)、横架材(はり、けたなど)などで建物の自重・積載荷重・積雪・風圧その他地震などによる震動もしくは衝撃を支えるべきものは大部分腐朽ないし破損を生じている上、基礎石が沈下しているため、建物の両端が総体的にいちじるしく沈下し、また建物全体がその北西側の隣家に向けてかなり傾斜するなど随所にいちじるしい腐朽・破損・歪曲が認められる状態で、当時はまだ直ちに居住不能という状態ではなかったけれども、すでに朽腐の時期が切迫した建物であったこと。

(2)、右のごとき状況から、本件建物は突発の暴風または地震などの場合には倒壊するなどのおそれが多分にあり、殊に人家が密集し、道路に面して人通りの多い場所にあるところから、保安上にも危険がありそのまま放置することを許されない状況にあり、現にそのころ東京都建築局からも建築基準法第一〇条に該当するものとしてすみやかにその改築ないし大修繕をなすべき旨の勧告が発せられたものであること。

(3)、以上の事態を解決するには本件建物をとりこわして改築するかあるいは必要な修繕を加えるかのいづれかを撰択しなければならなかったが姑息な応急修理では早晩同様な事態が発生することを防ぐことができず、修繕を加えるならば少なくとも基礎工事のやりかえ・腐朽している土台、柱、壁その他構造耐力上主要部分のとりかえ・屋根の葺きかえ等を要し、かかる修繕も技術的に不可能ではないけれども、かくてはいきおい、ほとんど改築に近い大修繕となり莫大な費用と手数がかかることになるが、かかる費用と手数を費してみても、その割にさして大巾な耐用年数の延長も期待できず、構造上の変更による建物の高度利用もはかれず、また現実として大巾な賃料の値上げも望めないためむしろこれを解体して改めて建築しなおすことの方が適切かつ得策であると認められ、建物を解体するとすれば賃借人ら居住のままでは不可能であること。

(4)、被控訴人は、借家人らの立場との調整をはかるため、前記調停において、同人らに対し、改築後の建物を半分づづ賃料一ヵ月各金一万五、〇〇〇円敷金六ヵ月分権利金なしで同人らに賃貸するとの申出をしたが、右賃貸条件は当時の建物事情から考えて住宅兼用店舗の賃貸条件としては決して不当のものとは認められないものであったが控訴人らはこれを承諾しなかったこと。

(5)、本件賃借人らは解約申入当時までに、すでに一五年ないし二三年間もの長期間にわたり、比較的低廉な賃料で本件建物を使用して相当の利益を得てきたものであるから、これにより、その賃貸借契約の当初の目的はすでにかなりな程度達せられたものと認められること。

以上の事実が認められ、他にこれを覆すに足りる的確な証拠はない。

右認定の事実によって考えれば本件建物はこれをとりこわして改築する必要があるものであり、そのためになされた本件解約申入は、真に必要かつ止むを得ない措置であると同時に適切な措置であったというべく、その賃貸借終了によりこうむるべき賃借人らの不利益も、調停当時被控訴人の申出を受諾すればおうむね解消し得たものというべきであるのに、控訴人らはその挙に出ず、結局自ら窮地におちいったものというべきであって、これを要するに被控訴人の本件解約の申入には正当な事由があるものと認めるのが相当である。

(三)、もっとも控訴人らは、本件建物につき前記のごとき解約申入を必要とする事態が発生するにいたったのは、もっぱら被控訴人が昭和二八年以後、借家人らの要請にもかかわらず、当時ならわずか五万円程度の費用で足りた雨漏りの修繕をせず、貸主として修繕義務を怠っていたことに基因するものであると主張し、≪証拠省略≫によれば、被控訴人は、本件建物に雨漏りがして借家人らの要請があったにもかかわらず、昭和二八年以後は、昭和三〇年ころに若干の補修を加えたほかは、これといった修繕を行っていない事実が認められる。

しかし、控訴人斎藤丑吉に関しては当審における控訴人田中ナヲエの本人尋問の結果により成立を認め、斎藤を除くその余の控訴人らに関しては≪証拠省略≫ならびに前認定の事実をあわせると、本件建物は、昭和二八年当時すでに、建築後五〇年以上を経過した老朽建物で、被控訴人がそれまでしばしば補修を加えてきた甲斐もなくなお雨漏りが続出するほど腐朽がいちじるしく、かなり朽廃の時期の迫った建物であったと認められるのであって、かように腐朽甚しく早晩朽廃を免れがたい老朽建物に対して、回収の見込みのない多大の修繕費用を投じてその大修繕をすることを貸主に要求することは難きを求めるにひとしいことであるから、その腐朽がもっぱら貸主の責めに帰すべき事由に基因したものであるなどの特別の事情がある場合は格別、当時かかる事情の認められない本件では、被控訴人にその義務がなかったといわざるを得ない。しかも右のごとき腐朽のいちじるしい建物についてはその際に多大の費用を加えて大修繕をしない限り、仮に当時被控訴人が控訴人ら主張のごとき費用を投じてその主張のごとき補修を加えてみたとしたところで、これによってはもはや本件建物朽廃についての自然の大勢に打勝つことはできず、いずれ、本件解約申入の時期と同一またはこれと大差のない時期において、同一の事態の発生することはさけられなかったものというべきことは見やすいところである。仮にこれにより事態の急迫を若干延期することができたとしても、果していくばくの期間を延期することができたかについては控訴人らの立証その他本件全証拠によるもこれを断定するに足りる資料がない。従って、本件解約を必要とする事態の発生は、被控訴人が自らその義務を尽さないが故であるとするにはあたらないというべきである。

もともと建物の賃貸借は、本来その目的建物が朽廃すれば当然に消滅せざるを得ない運命を有しているものであり、借家人は、特別の合意その他目的建物の朽廃がもっぱら貸主の責に帰すべき事由にもとずくものと認められるなどの特別の事情がある場合は格別、しからざる限り自然の命数によって建物の朽廃がさし迫った時期においても、常に賃貸人に対しその朽廃を阻止すべき大修繕を加えることを請求し、又は自らその大修繕をするなど右朽廃を阻止する措置をとってあくまで自己の賃借権の存続をはかる当然の権利を有するものではないというべきであり、前認定の事実に徴すれば本件は正にこのような場合であったというべきである。

なお、≪証拠省略≫によれば、控訴人らは昭和三六年五月ごろ、当時仮処分執行中の本件建物につき執行吏の許可を得て屋根の葺かえその他かなり大規模な修繕を加えたため、本件建物の腐朽ないし危険の度合が若干減少したことが認められ、また当審証人伊藤秀朝の証言によると、被控訴人は本件控訴審弁論期日当時には事態の変化にともないもはや本件建物を改築してこれを控訴人らに賃貸する意志がなくなっていることが認められるなど、本件解約申入当時に比べ若干事情が変化していることが認められる。しかし右はすべて本件解約申入期間経過後に係争の過程にともなって生じた事情であり、かかる事情があるために前記結論を異にする必要はない。

(四)、本件解約申入に正当の事由があると認められる以上、その申入が借家人に到達したと認められる昭和三四年八月末日から六ヶ月を経過した日である昭和三五年二月末日をもって前記各賃貸借契約は終了したものといわなければならない。

四、したがって右賃貸借契約の存続を前提とする控訴人らの本件建物占有権原についての主張はいずれも理由がなく、控訴人らはいずれも右賃貸借契約が終了した日の翌日である昭和三五年三月一日以後はその占有部分を不法に占有して本件建物の所有者である被控訴人に対し、少なくとも右契約終了当時におけるその占有部分の賃料に相当する額の損害を与えているものと認められるところ、その賃料相当額は一ヵ月あたり本件(二)の部分については金二、二〇〇円、本件(一)の部分については金二、〇〇〇円であることにつき当事者間に争いがない。

五、よって、被控訴人は本件建物の所有権にもとずき、控訴人斎藤丑吉に対しては、本件(二)の部分の明渡ならびに昭和三五年三月一日以後右明渡ずみまで一ヶ月当り金二、二〇〇円の割合による損害金の支払を、その他の控訴人らに対しては、本件(一)の部分の明渡ならびに前同日以後その明渡ずみまで一ヶ月当り金二、〇〇〇円の割合による損害金の支払を、それぞれ請求する権利があることは明らかであって、被控訴人の本訴請求は理由があるというべく、これを認容した原判決は相当である。

(反訴請求について)

仮に被控訴人に控訴人ら主張のごとき修繕義務の不履行があったとしても、右不履行と本件解約を必要とするにいたった事由の発生との間に因果関係を認めがたいことについてはすでに本訴請求について述べたとおりである。しかして右不履行と本件解約の事由との間に因果関係が認められない以上、右不履行と本件解約による賃借権喪失との間にも因果関係が認められないことは明らかである。したがって、被控訴人の修繕義務不履行によって賃借権を喪失せしめられたとして被控訴人に対しその損害の賠償を求める控訴人らの反訴請求は理由がない。よってこれを棄却した原判決は相当である。

(結論)

以上のとおり原判決は結局相当であって、控訴人らの本件控訴はいずれも理由がない。よってこれを棄却することとし、控訴費用の負担については民事訴訟法第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅沼武 裁判官 中川幹郎 渡辺忠嗣)

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